なもなきブログ

オチも結論もない自己満の自分語りです。(まあブログってそんなもんだよね)要するに読む価値無しってこと!

花で救われたいと思っているのは遺された人間だ

 大学1年の冬、サークルの先輩が死んだ。年明けで最初の活動日、連絡があるからと現役生全員と卒業生が数名招集され、事故死だと説明された。それを聞いて、(あ……先輩、自殺しちゃったんだ。)と、思った。

 授業の都合で1人遅れて体育館に入ってきた私は、皆が輪になって座り込んでいるのを見ながら、「遅れてすみません」と陳謝しながら小走りでそこへと向かう。同期のあのコ(前記事・飴玉の呪い参照)が「今日はもう帰ります」と、輪から抜けて出口へと歩いていった。私は物々しい雰囲気に首を傾げた。荷物を隅の方に置こうとした時、部長が輪から抜けて私に話しかけた。

「あのね、落ち着いて聞いてね。」

 この時、私は荷物を置いたんだっけ。もう忘れてしまった。でも多分、背負っていたリュックを下ろしながら部長の言うことに相槌をうった。

「最近、○○がTwitterもLINEも全然してないでしょ。」
「ああ、はい。……何かあったんですか?」
「……○○が、亡くなりました。」

 冬の体育館の、冷たい空気が、ビシッと凍って、そのまま無くなってしまったように思えた。冷静ぶった頭が、先輩の死因を一瞬で思い浮かべ、疑問と、納得と、困惑と、怒りがいっぺんに押し寄せたみたいだった。

「え、どうして……?死因は?」
「事故だったと、顧問から……。」

 あ、これは多分嘘だ。先輩が死んだのは多分嘘じゃなくて、事故死っていうのが嘘だ。
 ばらばらと涙が溢れて落ちていき、冷たかった頬を暖かく撫でていった。それは悲しみのためなのか、驚きのためなのか、それともすんなりと先輩が死んでしまったということに納得してしまった自分に対する軽蔑なのか。わからない。

「あの、今日はもう帰ります。」 

 脱ぎかけたジャンパーのチャックを上げ、下ろした荷物を背負い直して、私はトンボ帰りをするように1人で体育館を出て行った。その日は夕飯を食べることが出来なかった。

 先輩は可愛くて世話焼きで、それでいて不安定な人だった。それなりに荒れていた経験を持っていて、過去の武勇伝をよく聞いたものだった。可愛いところ以外は私と通ずるところが多くあったので、私は勝手に先輩を同族として見ていた。
 先輩とは、お互いに自殺観について話し合ったり、リスカ跡を見せ合ったり、気に入らない奴の陰口を言い合ったりした。もちろん普通にサークル内外で遊んだりもした。良くも悪くも「先輩っぽさ」がない先輩で、まるで同学年の友人のように思えた。

 先輩が死ぬ数日前のある時、先輩はあまりにも悪い顔色でサークルへ来た。マスクをし、ハイネックの服にさらにストールを巻いていた。そしてサークルの集まりが終わると、具合が悪いからと足早に帰っていった。
 先輩は多分、首吊り自殺に失敗したんだろう。私がそれに気がついたのは先輩が死んだ後、あのコと飯屋で先輩の死について話していた時にそう言われてからだった。ということはつまり、その時にはもう先輩は死のうとしていたんだ。

 ついでに言うと、先輩が死んだ日、先輩が住んでいた町では事故なんてなかった。先輩と同じ町に住むあのコが調べた情報曰く。

 先輩が死んだ日の先輩のTwitterのつぶやきは、おはようの挨拶と、正月明けについてのちょっとした話題だった。そのおはようの挨拶に、私含めて誰も反応は示していなかった。

 先輩の死を知らされたその日、家に帰った私は一心不乱に手紙を書いた。便箋を、たしか5枚くらい。どうしたらいいのか分からず、ただただひたすらに死んでしまった先輩へ、思っていることを思いつくままに書きなぐった。色々と書いたが、結局行き着くところは、なぜ死んでしまったのという問いと、1人で勝手に逝ってしまうなんてずるいという怒りだった。
 私は、先輩の自殺の理由や原因に、私自身も少しは絡んでいるのではないかと思った。今でも思っている。それを人に話すと誰もが「それは違う、だって仲良かったじゃん。」と言うんだ。違うよ、そっちが違うんだよ。

 確かに私たちは仲が良い方だったと思う。それは認めるし、裏付けるだけの思い出がある。ただ、最後に先輩と交わした会話が、部の役職の仕事の予定日をずらせないかという談義で、私の勝手な都合で無理を言って、私だけその予定から外してもらったのだ。

 誰も、「お前が悪いよ。」と面と向かって言ってくれた関係者は、居なかったな。そりゃまぁ、私が相手の立場だったら言えないけれど。言って欲しいのかと言われると、正直なところ分からない。けれど、多分別の人に言われてもだめなんだ。先輩本人に言われなくては、納得できないし、そうですかとはならないな。

 結局、私は次年度の夏にサークルを辞めてしまったので、先輩の墓参りなどに行くことは無かった。元メンバー達も行けたのかも分からない。私に悪意を向けたあのコも、少なからず私と同じことを思っていたのではなかろうか。そうだとしたら……、あのコが私にした事を正当化したくはないけれど、やっぱり私が悪いのだろうな。

 後になって思い返せば、先輩はきっと色々な場面でSOSのシグナルを発信していたんだろう。顔と首を隠してサークルに来た時に、そのことについて深く追求していれば。先輩が死んだ日の朝、おはようと一言リプライを送っていたら。防げたかもしれないなどと、無駄なことを考えてしまう。

 まだ若いのにもったいない、人生これからという時に残念だ、一緒にしようと約束したことをまだ叶えていないのに薄情だ。そう思ってしまうのは残された者の利己的な考えなのだろうか。故人からしたらそうなのかもしれない。

 そもそも自殺すること自体を悪としてしまう考え方もそうだ。望んで自殺した人にとっては余計なお世話なのかもしれない。体が本能的に生きようとするとか、それは精神とはまた別のことだろうし。

 花を手向けようが、天に祈ろうが、救われるのは残された側だけで、故人には何にもならない。だって死んでいるんだから。残された人が故人へすることはいつだって勝手なことだと気がついたのはごく最近のことだ。故人が何を考えて死んでいったのか思いをめぐらすことも、故人から貰ったものを形見として持つことも、それを手放せないことも、残された側が勝手にそうしているだけなのだ。このブログもただただ勝手な独り言に過ぎない。

 生きている人間はどうしてこんなに傲慢なのだろう。

 断捨離中、先輩へ宛てた手紙を見つけた。数年間どうすることも出来ずに部屋の隅においやったそれを、中身を開かずに燃えるゴミとして捨てた。


 私が自殺した後、近しい人達が無駄な時間を過ごさないように。せめて自分がどのような心境で自殺を決行したのかを記した遺書くらいは残そうと思っている。